2010年11月27日土曜日

大先輩お二人が病床に伏し

アースガーデンWebが本格的に動き出したので、ブログはあまり書きません、と言って半月ほどですが、ちょっと個人的な想いを書き留めたくなったので、ブログに戻ってきました。

気になっていた市民運動の現場でご縁のあった大先輩お二人のブログを続けてのぞくと、二人は共に重篤な病床の身。自分の残り時間に自覚的にもなられ、お二人のブログと現在は、僕に自分の人生の後半をつらつらと考えさせてくれます。

お一人は、90年代の10年間「アースデイ」が日本に根付き広がる種まきをし続けた市民運動家「須田春海(すだはるみ)さん」。
ブログはこちらです。
http://shunkais.typepad.jp/blog/
80年代から、市民運動全国センター世話人として活動され、その流れの中で90年に世界的な呼びかけがあった「アースデイ」に呼応し、日本での運動を先導した張本人が、この1年半は難病
ALS(筋萎縮性側索硬化症)で病床に伏されています。

もう一人は、「せんだい・みやぎ
NPOセンター代表理事」の「加藤哲夫」さん。
ブログはこちらです。
http://blog.canpan.info/katatsumuri/
仙台の伝説的なエコショップ「ぐりん・ぴいす」、さらにやはり伝説的な地方市民出版社「カタツムリ社」で大活躍し、80年代から90年代の自然食業界、市民運動の世界ではよく知られた方です。90年代半ばから徐々に「新しい市民社会のシステムづくり」へと軸足を移されて今に至ります。
加藤さんとはこの1年ほど、活発にやり取りして、1年にわたるミニ勉強会の企画などをご一緒している最中でしたが、夏以降2度に渡る入院となり、リアルタイムでその病状進行と入院生活をウォッチすることになりました。

須田さんが68歳、加藤さんが61歳。お二人とも市民社会の前進と熟成に人生を掛けてきたと言って大げさでない経歴の持ち主。往時には相当な仕事量をこなされていたと思われます。加藤さんなどはつい半年前のやり取りでもその忙しさはあ然とするほどでした。
そんなお二人が、それぞれ病床の身となり、日々を綴るブログの言葉もどこか共通する空気があり、身につまされます。(早すぎますね(笑))

「大先輩たちの切り開いてくれた道をさらに」という想いと、40歳を過ぎ自分の後半生を想い始めた(ワーカーホリックな)自分に引きつける気持ちと。
これからも、お二人のブログを読んでは、時々考える自分なのだと思います(苦笑)。


ーーー
と、ここまで書いたところで、なんと加藤哲夫さんからメールが届きました。
なんてジャストタイミング!! 手術前以来だから1ヶ月半振りです。
お互い同じタイミングで、文章を打っていたわけで不思議ですが、最近こういうシンクロニシティが本当に多くて驚きません。

加藤さん、だいぶ回復されているようです。

退院10日後の11/12の写真がこれです。http://blog.canpan.info/minmin/archive/408
〜中略〜
ゆっくりとですが、良くなっていくものなのですね。大事な臓器をこんなに取ってしまったというのに、カラダは不思議です。
byご本人のメールより」

あー、なんか元気になりました。
人生、山を登ったり、谷を下ったり(笑)。


2010年11月11日木曜日

アースガーデンのWebがリニューアルしまして

とんとご無沙汰のブログ更新で、恐縮です。気がつけばこのブログ、立ち上げからちょうど今日で1年です(祝!)。
実は、ちょうど最後の更新をした7月頃から、アースガーデンWebサイトのリニューアルにかかってきました。そして10月はじめになんとか立ち上げ、以後1ヶ月半、なかなか順調に更新が続いています。
そんなわけで、この個人ブログに上げたい内容のかなりの部分が、今後は随時アースガーデンWebの方に上げていく流れになり、コチラのブログはますます開店休業になる流れです。あんまり居ないとは思うのですが、ファンの方には本当に申し訳ありません。今後はどうぞ、アースガーデンWebをよろしくお願いします。
このブログでの試行錯誤がなかったら、今回のアースガーデンWebのリニューアルもなかったことは間違いありません。このブログが僕に「ブログの可能性」をとことん教えてくれました。新しいアースガーデンWebも体裁はキレイでデザインの自由度も高くはなっていますが、基本はブログです。だからこそ、沢山の人たちに関わってもらえる広がりと、Webだからこそのフットワークの両立を実現しています。
かさねて今後は、アースガーデンWebをよろしくお願いします。

なお、ぼく個人の日々や動きはツイッターの方でフォローしていただけます。変わらずドンドンつながりましょう!!

2010年7月10日土曜日

山の家から:我が家のまわり

 この春から移り住んだ、東京都あきる野市武蔵五日市の山の家。
 春からのイベント現場のドトーの連続の中、まだまだ片付けが進まず、当然ウチの様子をブログなどにレポートする気にもなれない日々でした。
 けれど、ボチボチと片付けも進んできた先日の晴れた日に、1時間ほど散歩しながらツイッターで周辺の写真ショートレポートが出来てしまいました。ツイッターさまさまです(笑)。
 手前味噌ですが、なかなか素晴らしい環境です。
 ぜひ、こちらから→
http://twilog.org/nanbei11/date-100708
山の家のまわりの様子をのぞいてみてください。

2010年7月7日水曜日

仕事:朝日新聞に取材されました

朝日新聞の2010年6月某日朝刊の関東版と関西版(それぞれ掲載日が違いました)求人欄に、僕のインタビューが載りました。
だいぶ照れくさいです(笑)。
取材してくれたライターの田中美絵さんは2001年にゲーリー・スナイダーと仲間たちの詩の朗読会を湯島聖堂で実現させた時以来、僕の場づくりを見守ってくれていたそうで、着々と自分の仕事を続けていれば、ちゃんと見ていてくれる人がいるのだと、嬉しい取材でした。
インタビュー自体も、そうした流れの中で、僕の中の最も深いところ、生きる事の根っこにかかわる話しとなり、短い字数の中でも濃厚な内容です。
上の画像をクリックすれば拡大して読めます。
一部で写真写りが良すぎると(笑)評判です。ご容赦を。

2010年7月6日火曜日

NoNature:“天地有機”=オーガニック

 ap bank fes.の出店者向けに書いた文章が、有機農業&オーガニックについて自分なりのイイまとめになっているので久しぶりにブログにアップします。

 週が明けたらap bank fes.現場入りで静岡県掛川です。今年も熱い夏になりそうです(笑)。

















ーーー

 こんにちは、南兵衛@鈴木幸一です。ap bank fes.のオーガニックフードエリアを初年度からコーディネートさせてもらっています。

 僕は色々なご縁があって、20年以上前に「有機」農業の世界に関わり始めました。やがて「オーガニック」という言葉も現れ、どちらもこの10年ほどで当たり前に使われるようになったのですが、最近「天地有機」という中国の漢詩の一節を知って、「有機」という言葉の深みに気持ちを新たにしました。

 「天地有機」は、「天地(てんち)」に「機(き)」、「有り(あり)」と読みます。天地=大自然には、「機(き)」=仕組みが「有」る、という意味で、現代では常識となった自然システムの循環を示したこの漢詩から「有機」という言葉が始まったと言われると、深い納得を感じたのです。

 ap bank fes.がオーガニックにこだわるのは、地球規模の環境問題を知り、僕たちの暮らしを振り返った時、あらためて自然、天然が本来持っている循環に寄り添い、そのチカラをしっかり活用した食べ物と僕たちのあり方を取り戻したいと願うからです。実は「オーガニック」もその語源は“オリジン”、物事の根本への追求を意味すると言われています。

 「有機」「オーガニック」どちらの言葉にも、天地自然を知り、より良い世の中を目指していきたいという願いがこもっています。

 これからap bank fes.本番に向けて、通常のお店や出店ではないだろうご苦労を色々おかけしますが、僕たちは出店者の皆さんと、こうした「オーガニック」が本質的に目指すものを共有して、より素晴らしい場を創っていきたいと願い、努力していくつもりです。

 どうぞ、よろしくお願いいたします。

2010年3月5日金曜日

NoNature:映画ブルーゴールド

 地球規模の水問題を扱った
映画ブルーゴールドの試写を見て、これは生物多様性の根源であり、映画アバターのリアル版であり、最上級のエンターテイメント・ドキュメンタリーだと思った、、、
 という話しをゆっくり書きたいと思っていたら、配給会社のwebマガジンが僕をずいぶん丁寧にインタビューしてくれて、言いたい事は大体まとめてもらったので、そちらへのリンクを。
 水の星「地球」に住んでいる僕たちの生命の本質にかかわる優れた映画です。
 まずは、このインタビューを読んでいただければ、、、

2010年3月1日月曜日

Festival☆Life:フジロックからインタビュー受けました

 初開催から10年以上制作にかかわり続けている、苗場でのフジロック。
 その公式ファンサイト「fujirockers.org`10」の2010年最初の記事に、僕のインタビューを掲載してもらいました。光栄です。
 まさに10年間を一緒に成長した思いが強い、僕にとってのフェスティバルライフの原点の一つフジロック。そこに対する最近の想いを、よくまとめてもらいました。
 コチラからどうぞ http://fujirockers.org/10/?p=53

 また、2006年に僕の本「フェスティバル・ライフ」刊行後のタイミングでの同じwebサイトでのインタビューもコチラで読んでもらえます。

2010年2月15日月曜日

アースデイのつくり方BETA:はらっぱ祭りにて(1)

 さて「アースデイのつくり方」の実質的な第一回。
 ちょうど良いサンプルとして、先日11月23日に7年ぶりぐらいで参加して大歓喜だった「武蔵野はらっぱ祭り」のようすを伝え、語ってみようと思う。何回かのシリーズになる予定。
 はらっぱは僕にとって、その後のアースデイにつながる市民フェスティバルの原点。
 数年にわたり出店者、そしてスタッフとしても働き、舞台裏ものぞいて勉強させてもらった。アースガーデンとして最初のイベント「フリーマーケット楽市楽座」を湯島聖堂で始める時、僕はハッキリと「『はらっぱ祭り』のような場を東京の真ん中に作りたい」と思ったぐらいだ。




「アースデイのつくり方」のモデルとしての「はらっぱ祭り」
 はらっぱ祭りをアースデイのモデルとして考えた時に何が優れているのかを考えてみると、以下のようなポイントが浮かんでくる。

1:地域の人々による自立的な開催
2:会場の環境が気持ちいい
3:ステージはもちろん出店も、本質的な部分で質が高い
4:多様性を楽しめるだけの大きさがありつつ、過剰ではない
5:日常の延長上にある地域イベントであり、資金や設営などの面でも
  イイ場づくりを志す皆にとって参考になる知恵と蓄積が多い

 他にもまだ出てきそうだけれど、まずはこんなところで稿を進めるとして、はらっぱの全体像は一度確認して欲しいので以下のリンクで、本ブログの以前のレポートを参照して下さい。4枚ほど09年はらっぱ祭りの写真を張っています。

「はらっぱ祭り」がある所
 写真で見て分かるとおり、はらっぱ祭りはその名前のごとく「原っぱ」で開催されています。東京駅を起点に西に東京を横切り、最近話題の高尾山をかすめ、やがて山梨〜長野へと至る「中央線」。この路線で東京から40分弱の郊外の駅から、さらに歩いて30分ぐらいの「都立武蔵野公園」という広大公園の一画が会場。「野川」という小さな川に沿った緑地公園の、まさに野川に寄り沿った通称“くじら山はらっぱ”で、はらっぱ祭りは20年以上開催されている。
 元々、この原っぱを公園整備の一環で開発しようという話しに反対する地域の有志が、そのアピールのために始めたのが最初のキッカケだったそうだけれど、僕が出店までするようになった94年頃には、すでにそうした反対運動的な空気感は希薄だったので、原っぱの開発自体はわりと早い段階で中止になっていたのだと思う。
 きっかけは反対運動だったけれど、初めてみたら“その場に集うこと”自体のパワーと魅力で、それが継続されていくというのは、よくある話し。原っぱも、そうやって沢山の人たちの気持ちを集めながらここまで転がってきたのだ。

 と、色々と話が尽きないので今日はここまで。
 次回以降は、上にあげた「はらっぱ祭りの優れたポイント」に沿って、書こうと思います。
 気がつけば2010年も2月の半ば、もう1年の1割以上過ぎちゃいました(驚!)アースデイ東京の準備も着々と進んでいます。


、、、、、、、
本ブログの稿の進行を待ちきれないと言ってくれる嬉しい方は、
コチラのコラムをどうぞ!たっぷり長いです(笑)
「2022年アースデイの旅」http://www.earth-garden.jp/en_colum/